光明元年

雑感

8/27

朝起きたときによっしゃ仕事やめようと思ったので勢いでいろんな人に宣言する。数日前にこのブログに書いてたことと正反対のこと言ってる!

図書館で借りた本に、夫婦で家賃3万のアパートに暮らしている人や年に一度しか髪を切らない人の話が出てきた。自分にとって本当に譲れないことだけを大事にして、それ以外は無理して世の中の標準に合わせないようにするという文脈で。かなり納得する。生き馬の目を抜いて無限肥大する欲望を叶えていくのはちょっと無理だ。もうこれ以上新しい知識はいらない。

昼過ぎに実家に行ったので、かつて日本で2番目か3番目に汚いことでワイドショーに取り上げられていた近所のドブ川を見に行く。腐卵臭がなつかしい。

記憶の中よりも地元の町は荒れていて、自然豊か、というよりただ放ったらかしにされた夏草がボーボーに茂って舗装に侵食していて良かった。河岸は皇居のお堀くらい緑深く、手入れされていない分こっちのほうが緑に迫力があっていけてると思った。

汚い川でメダカなんて滅多にいないから子供の頃はひたすらアメンボを捕っていたが、水辺まで降りられる階段に座って10分ほど川面を見ているうちに2度魚が跳ねた。昔よりは多少水が綺麗になっているのかもしれない。それか捨てられたミシシッピアカミミガメとかかもしれない。

20230816

帰宅ラッシュ時の高田馬場で乗り換えをしたら人の多さにウッとなったが、自我を限りなくゼロに近づけて、自分のことを尊厳ある一個人などと思わずに水流のなかの一滴になったつもりで動いてみたらいい感じだった。水槽の中みたいな息苦しい地下鉄のコンコースで、自分が肺で呼吸をする人間で、その自分のまわりをみっちり囲んでいるのも全員が人間だと思うのはちょっと無理がある。水滴だと思うほうが気楽でいい。

ここのところ会社を辞めるかどうかずっと考えていたけどやっぱり辞めないでおこうという結論に至った。いつでも辞められるという気持ちはキープして。

シリアスバカになりがちな傾向があるからすぐに生きるべきか死ぬべきかみたいな思考の穴にハマるけど、まあどうとでも生きていけるかという気持ちをなくさないでいたい。朝にカップ麺食べたり最低賃金で働いたり、しょうもない行いをして好かれたり嫌われたり、痩せたり太ったりして、濡れたり乾いたりして、どうとでも生きていける。たぶん。

猫が尿路結石が原因でおしっこができなくなり、急遽入院・手術ということになってしまった。木曜の夜中に様子がおかしかったので夜間救急に連れて行ったらそのまま入院、金曜の午前中に説明を受けて午後には手術、という怒涛のスピードで事が運び、生活が一変してしまった。

去年実家の猫が死んだ時もつくづく思ったが、猫の苦しみの前で人間にできることはあまりにも少ない。かといってオロオロだけしているわけにもいかず、わずかな「できること」のなかで猫に代わって意思決定しなければならない。飼い猫は自分の処遇を自分で決めることができない。何が行われているのかもわからないまま人間が選んだ処置を受け入れるしかない。猫の病気と比べると、人間の悩みなんてものはどうとでもなる。猫と比べれば、人間は自分のことは大体自分でどうにかできるはずだと思う。

生きていると日常的に3つか4つくらいの問題を同時進行で抱えていたりするわけだけど、こういう緊急事態が発生すると一旦それまでのすべてをストップさせて、目の前の早急に手当てが必要な現実的な問題に対処していくことになる。即座に判断と対応をしていかなければならない現実の諸問題に立ち向かうことには、若干の癒し効果みたいなものを感じなくもない。悩む余地がないからか。実存よりも生存が優位になってる状態というんだろうか。しかし反動で今日はまったく動けなかった。

ちなみに猫には国民健康保険というものがないので、手術や入院ということになると目ん玉飛び出る金額を請求される。元気なうちにペット保険に入ろう!

緑陰

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仕事からの帰り道、早稲田通り沿いの街路樹にこういう張り紙がしてあって、ふーんと思って一旦通り過ぎたけど、作業内容の「樹冠を整え緑陰の提供」って文言がすごいと思って引き返して写真撮った。私が日頃享受している木陰は自治体によって整備され提供されていたものだったのか。そしてあれは行政の言葉では緑陰というのか。都会の木は自然ではなくインフラなんだなあとしみじみした(もののけ姫を観たばかりなので感化されています)。

ついでに早稲田通りの街路樹はなんていう木なんだろうと思って調べたら東京都建設局の街路樹マップなるものが出てきて、それを見るにどうもプラタナスらしい。樹皮がはがれて白っぽい迷彩みたいになってるやつ。

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https://www.kensetsu.metro.tokyo.lg.jp/jimusho/sanken/gairozyu.html

ちなみにニレ、ボダイジュ、マロニエプラタナスで世界四大街路樹だそうです。たしかに赤毛のアンとかでよく名前を聞く…気がする。

街路樹についての知識を得た日でした。

東京-足柄-新城-伊賀甲南-京都深草-大阪

大学の先輩に会いに神戸に行く。高速バスで8時間。トンボ帰りの予定なので滞在時間と移動時間がどっこいどっこいくらいかもしれない。そして私は観光よりも移動のほうが好きかもしれない。

先週は酔っ払ってスマホを紛失したり心当たりを捜索したり補償の手続きをしたり見つかって警察に引き取りに行ったり補償のキャンセルの手続きしたりと、自分の愚かさで招いた事態のせいであわただしかった。心当たりの場所を訪ね歩く中で自分のじゃないiPhoneが2台出てきて、愚かな人は私のほかにも結構いるんだと知れてよかった。

そんなことをしていたせいか日付の感覚がバグっていて、昨日まで「3〜5月の間ははあんまり残業しないほうが社会保険料的にいいらしいから…」とか思って早めに打刻したりしてた。けどもう全然6月10日だった。

5〜6月はよく人と会っていて、友達ってありがたいなと思うことが多かった。自分とは違うテンポ感で生きている人と会うとすごく良い。元気が出る。大体の人は私より速い。

友達を大事にしたいんだけど、人を大事にするということがずっとうまくできてない気がする。自分の無力さを感じるけど、自分のこと無力ではあっても無能ではないと思っているから、習練次第で発揮される可能性のある能は備わっていると思うから、まあ今後もぼちぼち人と関わっていきたい。というか程度問題はあれ、100%無能な人間はいない。

バスの中で植本一子の「愛は時間がかかる」を読んでいる。日記本を読むのは好きだけど、自分の日記をZINEにして値段をつけて売るという行為がよくわからない、と思っていた。でも、それは自分自身の生活や人生に対する評価が低いから他人に対してもそう思うのであって、別に何者でもないどこかの誰かがただ生きている日々の日記からほかの誰かが何かを受け取ったりすることは全然あるだろ、と考えを改めた。自分の取るに足らない日々を価値あるものと認めることで他人の日々のことも尊重できるようになるのかもしれない。

20230528

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母親の退職祝いの会だった。せっかくだから花束でも贈呈しましょうということで、前から行ってみたいと思っていた祐天寺の花すけで花束を作ってもらった。

電話で予約したときに要望を聞かれて、野の花っぽい感じで、緑多めで〜くらいのフワッとしたことしか言わなかったのにめちゃくちゃイカした花束を作ってくれて感動した。色数が少ないのが良い。花すけが近所にあったら最高だな〜と思うけど目黒区に住むことたぶん一生ない。

父母は「あんまり記念日みたいなことすると死んじゃうよ」「〜〜をやるなら早くしないと、来年には死んでるよ」などと年を重ねた人特有の死を盾に取ったユーモアを繰り出すようになっていた。夫婦間のエコーチェンバーやばそう。母は明日から一人で車中泊しながら山形まで行くらしい。バイタリティどうなってんだ。

昨日の日記

5月26日……文化放送ライオンズナイターの潔いまでの西武贔屓、その熱いばかばかしさにずいぶん笑って救われたので西武ファンになろうと思った(セは横浜)。

熱い愛の実況とそれを一身に浴びながらボコボコに打たれるチーム、そのすがすがしさときたら!それまで感じていた不安や恐怖が消えていった。大丈夫だ。明日も野球はある。それが野球のいいところ。

「悩み苦しみもがき続ける若獅子へ、無償の愛を送り続けております文化放送ライオンズナイター。6回の裏、バファローズのリードは"たかが四点"です」ほんとに無償の愛だよ、6回終わってまだヒット1本しか出てないっていうのに。このまま完封されてもそんなこと関係ないのでしょう。この愛の前では。

5月27日……良い日でした。記念に撮った写真。

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