光明元年

雑感

ロストハウス再読

大島弓子の「ロスト ハウス」という漫画が大好きで折にふれて読み返している。白泉社文庫版の奥付によると初出は1994年。同い年だ。

この前久しぶりに読み返してみたらいろいろと思うところがあったので、まとまらないけど書いてみる。

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この漫画の主人公はこの世でたったひとつ「他人の散らかった部屋」だけが好きで、ほかに好きなものは一切ないと言ってのける無感動な大学生・実田エリ。友人は一人もいない。

エリが「他人の散らかった部屋」にこだわるのは、幼い頃に住んでいたマンションの隣人、鹿森さんと鹿森さんの部屋を忘れられないからだった。

駆け出しの新聞記者だった鹿森さんは毎朝ドアの鍵も閉めずに飛び出していくような忙しい人で、留守中にエリが部屋に勝手に入って遊ぶことを快く許してくれていた(「うちで遊んでもいいよ だけど服がよごれるよ」)。何もかもきちんと整頓され管理されていたエリの家と違い、ひどく散らかっていて混沌としている鹿森さんの部屋はエリにとっての解放区になった。

鹿森さんが女の人と一緒に暮らすようになってからもそれは変わらなかった。彼女はエリをことさらに可愛がるようなことはしなかったが、エリをその部屋で過ごしたいように過ごさせて、自分がお茶を飲むときはカップを2つ用意する、そんな人だった。エリはそれを飲んでもよく、飲まなくてもよかった。解放区で過ごす日々は、彼女が事故で突然死んでしまうまで続いた。

事故の後、エリたちは家を引っ越すことになり、鹿森さんの行方はわからなくなってしまう。解放区は永遠に失われる。

成長したエリはある時から毎夜大声で叫ばずにいられないようになる。顔に枕を押し当てて声を殺しながら叫ぶことで日々を乗り越え、大学生になる頃には喉が嗄れてハスキーボイスになっていた。エリはなんの趣味も人生の目的もなく、この先も枕で叫び声を殺しながらロボットのように生きていくつもりだった。ただ願わくば小さな解放区さえあれば。

ある日、大学でしつこく声をかけてくる男子学生・樫原から3度目のナンパを受けたエリは「あなたの部屋にだったら行ってもいい」と言って彼のアパートに行く。エリはただ来客のために片付けられていない他人の部屋に入りたかっただけだったが、先方はそのようには捉えず、よくある男女の不幸な行き違いが起こる。エリは樫原を引っ掻き、蹴飛ばして逃げ帰る。

翌日、その一件を許してほしいと言う樫原に対して、エリは「一ヶ月間部屋の鍵をしめないで生活すること、その間自分がいつなんどき部屋に入っていこうとも完璧に無視して過ごすこと」という条件を出す。樫原はそれを愚直に実行し、ついには泥棒に入られて家財道具をすべて盗まれてしまう。

責任を感じたエリは樫原の生活の立て直しのために20万を貸し付ける。その借金の返済日、樫原は何の気なしにバイト先の上司と交わしたという雑談についてエリに話して聞かせる。「昔、上司の同僚に部屋に鍵をかけたことのないと変なやつがいた」「その人は昔恋人に死なれてから結婚も考えず、ついにはホームレスになっているのを見かけたんだって」「その上司はさ、その時ああ彼はついに全世界を自分の部屋にしたのだ、そしてそのドアをあけはなったのだ、と思ったそうだよ」。

それを聞いたエリは鹿森さんを探して街から街へと一晩中歩き続ける。夜が明け、もうそれ以上歩き続けられなくなったときに、エリは世界のドアが自分に向かって開け放たれていたことを知る。

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物語はここでおしまい。

「解放区」とは辞書的にいえば革命勢力が現行政権の統治下からもぎ取った区域で、現行の秩序とは異なる秩序が支配する空間を指す。このお話の中での「解放区」は「安全地帯」と同じような意味で使われているようだ。自分の存在が無条件に許され、受け入れられる場所、および受け入れてくれる他者。既存の秩序から切り離されたユートピア

解放区のミソは「他人の」散らかった部屋であるということだ。他人の秩序に従って散らかった部屋。他人の部屋に入るということは、相手との間になにかしら相互的な関わりを持つということで、そこに入る以上は自分だけが「完璧に無視」された透明人間の立場でいることはできない。できないのだが、小さい頃から周囲に「変わった子」と言われ、「普通であれ」という抑圧を感じていたエリには自分を評価する視線の存在しない空間が必要だったんだろう。

でも、それは留守中に他人の家を覗き見る泥棒みたいなもので、やっぱりまともな人間関係とはいえないと思う。自分は他人の領域に侵入して相手に動揺を与えているのに、自分に対しては誰も関心を持ってくれるな、というのは謙虚風の傲慢だ。

本来は人との関係性のなかで作り上げていくはずの安全地帯を一足飛びでほしがったエリの目論見は当然失敗し、考えの違う他人と衝突したり、大きな被害をもたらす結果に終わってしまう。

最初は胎内のような絶対的安全地帯を求めていたエリも、そうして生身の人間として転ぶことで、自分もまた他者と不干渉の存在ではありえないこと、未知の他者の部屋に入れば当然予期せぬぶつかりが発生することがあることを知っていく。他人の部屋に入るには自分の服が汚れることを覚悟しないといけない。

最後にはエリは透明人間ではなく、泥もかぶれば人に泥をかけたりもする存在として、自分の生身の存在を引き受けて世界の中に参加していく。無理に開けさせたドアから勝手に入っていくのではなく、相手からもらった合鍵で正面からドアを開けて訪問するようになり、自分がその人のためにできることを見つけていく。

エリはたぶん、これからは樫原だけでなく他の人の部屋にも入って行って、関わりを持つことができるだろう。最後の1ページ、歩き疲れて夜明けを迎えたエリのモノローグに毎度いたく心を打たれる。

わたしはわたしの前で世界のドアがとつぜん開け放たれていくのを感じていた

この世界のどこでも どろまみれになっても思いきりこの世界で遊んでもいいのだ わたしはわたしに言ってみた

そしてポケットの中の彼の部屋の鍵をにぎりしめて五月の朝の街を走り出した

やっぱり人とは相撲取っていかんといかんということですね。言うは易しだ!