光明元年

雑感

早まれ!遅いくらいだ

 

住んでいるアパートが取り壊しになるので来年追い出される。

モラトリアムはここを出ていくと自分で決めたときに終わるのだ。まだなにも選んでいないしなにも失っていない。再開発のつごうで勝手に追い出されたら永遠にここを出ていけないじゃないの。どうしてくれよう。

 

自分にとってお前は取るに足らない存在だ(だから何を言われても傷つかない)という予防線を張り巡らさないと他人と関われない者たちは交われば互いの尊厳を削り合っていやになってまた離れたりまたくっついたり、他人と関わり合うってなんてクソなんだろう。でも、林野ひさしのこと考えていないより考えているほうがずっといいかもしれない そうだずっといい。の精神で、やめないでおく。

 

「あなたはいま怒っている? だったら枕を殴ってみよう。すっとした? 全然よね。現代人の怒りは枕をパンチしたくらいではとても収まらない。だったらいっそ刺してみよう。古い枕を出してきて、庭の芝生の上に置く。それを大きなとがった包丁で突き刺す。何度も、何度も、何度も。包丁の先が地面に届くぐらい強く刺す。しまいに枕がなくなって、ただ地面だけになっても、刺して、刺して、刺しつづける。まるで回りつづけているこの地球が憎くて殺してやりたいみたいに、まるでこの星の上でくる日もくる日も独りぼっちで生きていなければならないことに復讐するみたいに。」ミランダ・ジュライ「共同パティオ」

 

日本の女性作家の小説には風呂で毛を剃るシーンがよく出てくるよなーと風呂で毛を剃りながら考えていた。「インストール」か「蹴りたい背中」か忘れたけど綿矢りさの初期作品にもあったし、最近だと宇佐見りんの「かか」にもあった。それはこの国の女の毛をめぐる状況が10年前20年前からほとんど変わっていないからだろう。「毛の人類学」みたいな本があったらいいなといま考えてるけど、思いつくのは誰かが半年くらい前に思いついていそうなことばかり。