光明元年

雑感

20230424

生きていくうえでなんらかの信仰が必要だと仮定したとして。 たとえば何かを信仰したとして、それは信仰であってそれ以上でもそれ以下でもない、つまりその信仰しているものは「真理」などではないと、わかっていられればいいと思うけど、そんな冷静な視点を自分の中に持つことと信仰は両立するのだろうか。信仰の対象が真理ではないと思いながら信仰する場合、信仰そのものを信仰するというようなことになるのだろうか。 両手離しの信仰の中に入ったときに幸福と呼ばれる状態になるのかもしれないけどそれは一生無理だろうな。幸せって一瞬の確かな喜びの記憶のコレクションでしかありえないのかもしれないと思った。

このまえ新宿の人混みを歩いていて、金曜の夜だったから本当にたくさんの人がひしめき合っていて、そうしたらなんか洪水の前のような気分が出てきて、自分も含めてこの人たち誰も救われてないし誰も救われないんだ!と思ってみたら意外と悪くなかった。人に優しくなれそうだった。