芋煮会をしてみたいと思っていた。山形県で秋のうららかな日に川辺で里芋と牛肉入りの煮物をつつき酒を飲む、ウィキペディアの言葉を借りれば「お楽しみ会」の一種である。
私の母は山形出身である。「芋煮会をやったことがあるか」と聞くと、「子どものころ、学校行事でやった」と言う。さすが芋煮エリート。私にもその血が流れているはずだ。私は秋のうららかな日が好きだし、川辺が好きだし、煮物が好きだ。そしてBBQが嫌いである。芋煮会をやりたい。青空の下、風吹く戸外での「お楽しみ会」を堪能したい。
そう思っていたある年末、久しぶりに会った大学時代の友人からの何気ないひとこと「新年になったら芋煮会でもしましょう」の言葉に私の中の眠っていた芋煮魂に火がついた。勢いのままに数人の友人に声をかけ、一月に芋煮会を開催するはこびとなった。
しかし。ここからが問題だった。日程調整をして場所を赤羽岩淵の荒川河川敷と決めたまではいいが、肝心の芋煮会のことを私は何も知らないのだった。芋煮会を主催するどころか参加したことも一度もなかったし、その全容は謎めいていた。そして開催時期も問題だった。一月半ばの河川敷。寒いに決まっている。本当に大丈夫だろうか、という思いが募るにつれて、だんだん考えるのが面倒くさくなり、ついに開催一週間前までそのまま何も詳細を決めず放ったらかしにしていた。私がそれまでにしたことといえば、実家からカセットコンロを借りたことと、新年の書き初めで「新年芋煮会」という書をしたためたことくらいだった。
これではまずい。ということで、
「一人で芋煮の段取りを考えるのが億劫すぎる」
「ヒマだったら一緒に考えて」
と、くまにメッセージを送る。くまは学生時代の友人で、いまは私と同じくほぼ無職である。ヒマはある。
案の定「いいよ」と返事が返ってくる。返事が早い。いまは平日の昼間。無職の面目躍如だ。
さっそく上野の飲み屋で打ち合わせをする。話題はハロー!プロジェクト楽曲の歌詞の考察から異性愛至上主義社会の倫理観にまで及び、クエン酸サワーの杯を重ねた。芋煮については、「まぁ、適当に集まって、買い出しして、やればいいんじゃない」ということになった。18時から終電までかかって導き出された結論がそれであった。
芋煮会当日。幸いにして天気はよく、一月にしてはめずらしいほど暖かい日だった。先日の打ち合わせのとおり、適当に集まって、買い出しして、河川敷に向かう。
河川敷のバーベキュー場で受付のおじさんに入場料の500円を払い、折り畳み式のテーブルをレンタルする。ガスコンロ、鍋、まな板、包丁などは自分たちで持参していたので借りるものはそれだけだ。バーベキュー場にわれわれのほかに人影はなかった。遠くのほうに凧揚げをしている子どもたちがいた。一月なのだ。
テーブルを組み立ててガスコンロと鍋をセットし、テーブルの前面に持参した「新年芋煮会」の書を貼る。それっぽい。これだけでもう一仕事終えた気になった。
芋煮のいいところは、複雑な工程を必要とせず、材料を切ったらあとはどんどん鍋に放り込んで煮込んでいけばいいところだ。葱を切り、里芋の皮を剥き、しめじの石突きを落とし、牛肉を一口大に切ったらあとはもう特にすることはなかった。煮えるのを待つだけだ。
完成した芋煮は、適当な味付けにもかかわらずとても美味しかった。
終わってしまえばなんということもない。
まな板と包丁を一対しか持っていかなかったので一度に作業できる人員が限られたこと、〆のうどんを投入する時間がなかったこと、など反省点はいくつかあったが、この第一回目の芋煮会を糧にこれから洗練させていきたい。
無事に芋煮を終えた安堵と高揚感で開放的になり、二次会で私は酒を飲みすぎて「男の話ばかりするな!」と、くまに向かって叫んでいたらしいがまったく記憶にない。禍根を残すところまでが芋煮会なのだ。